東京で着物を高く売りたいけどどこのお店に持っていこうかなぁ…
と悩んでるあなた、実は近所の着物買取店では絶対に高く売れません!
近所のお店で売るよりも、ネットの買取業者のほうが高く買取してくれます。
なぜ、ネットの買取業者で高く売れるのかその理由と、東京のおすすめ買取店や買取相場についてご紹介していきます。
目次
ネットの着物買取業者だと査定額がダントツ高い!
実際にフリーマーケット、オークション、リサイクルショップ、近所の着物買取店、ネットの着物買取店に同じ振袖を査定をしてもらい買取額を比べてみました。

その結果、ネットの着物買取業者がダントツで高いことがわかりました!
着物買取店に比べネットの着物買取業者のほうが需要が高く(全国に対応してるため)、管理コストも安いので、その分着物を高く買取することができるからです。
絶対にネットの着物買取業者を利用するのが一番お得です!
おすすめのネット着物買取業者ランキングTOP3
ネットの着物買取業者といってもすべて優良会社とは限りません。中には着物に詳しくない人が査定している悪質な買取業者も存在します。
そこで当サイトでは独自にアンケートを取り、どのネット着物買取業者が評価が高いか調べランキングにしてみました。
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東京の着物買取相場
東京の着物の買取相場は高くなる傾向になっています。その理由は、東京が日本有数の人口を誇るため十分に流通経路を確保できるからです。
また、東京は外国人旅行者が多く訪問するスポットとしても知られていますので、外国の方へ向けての着物を売るマーケットも展開できるでしょう。
有名なブランドは高額で買取される傾向があります。中でも大島紬(絹100%)は人気の着物ですので、市場でも高く取引されています。欲しがる人が後を絶たず仕立て直しされることもあるので、状態が良い着物だと高額になる傾向があります。










東京の着物買取業者一覧
ネットの買取業者が高いことはわかりましたが、それでも近所の着物買取店を利用したいという方のために、東京都内の着物買取店を厳選してみました。
店舗名 | 住所 |
---|---|
株式会社マルヨ | 東京都豊島区北大塚2丁目31-2 |
アート熊野堂青山店 | 東京都港区南青山2丁目2-15 |
着物・おりべ | 1 東京都渋谷区神宮前1丁目10-31 |
着物ライフすみや | 東京都国立市富士見台1丁目26-26 |
特選着物買取きものおおば | 東京都中央区東日本橋3丁目6-6 |
てまり屋 本店 | 東京都荒川区東日暮里6-59-5 |
着物買取り専門の風楽 | 東京都世田谷区千歳台2丁目29−14 |
箪笥の寶松美屋本店 | 東京都世田谷区玉川3-5-9 |
秀太郎社中 | 東京都大田区多摩川1−31−19 |
銀座きもの青木 銀座店 | 東京都中央区銀座1丁目8-2 |
呉服おおくら リサイクル呉服買取受付 | 東京都練馬区関町北4丁目4−7 |
着物リサイクルショップ きも乃たき川 | 東京都大田区西蒲田7-48-14 |
リサイクルきもの福服 新宿店 | 東京都新宿区新宿2丁目7−72 |
あさぎ | 東京都世田谷区奥沢5-27-19 |
リサイクル・新品着物・新品和装小物のお店 着楽堂 | 東京都立川市柴崎町2丁目5−2 |
きもの倶楽部 | 東京都町田市成瀬が丘1丁目29−2 |
よね屋 | 東京都中野区新井1-7-2 |
きものらぐたいむ 代官山店 | 東京都渋谷区鉢山町9-21 細野ビル301 |
Tokyo135°池袋アルタ店 | 東京都豊島区東池袋3-1-3 サンシャインシティアルタ1F 中北館 |
たんす屋神楽坂店 | 東京都新宿区神楽坂2-12 神楽坂ビル1F |
TOKYO KIMONO STATION by Tansuya | 東京都中央区銀座5-8-20 銀座コア5F H.I.S.内 |
くろちく meets たんす屋 | 東京都台東区花川戸1-4-1 EKIMISE 7F |
東京の織物&伝統工芸品
東京友禅(とうきょうゆうぜん)
東京友禅(とうきょうゆうぜん)は、京友禅、加賀友禅とともに日本三大友禅として知られています。友禅とは、日本の代表的な布を染める方法のことです。その中でも東京友禅は東京が発祥の地であるので、「江戸友禅」とも「東京手描友禅」とも呼ばれているのです。
友禅は地域によって特徴があり、京友禅は京都らしさがある華々しい印象を与えているのに対して、東京友禅はしっとりした落ち着きのある色調でありながら、江戸の町人たちに好まれるようなスタイリッシュで小粋な雰囲気が漂っています。
しかし元は京友禅から派生したものですが、製作の手順には違いがあります。京友禅はそれぞれの工程を分業していますが、東京友禅は構想から図案、下絵に友禅挿し、さらに仕上げまでをほぼ模様師一人の手によって作成されます。
江戸時代には参勤交代と呼ばれる、大名が定期的に江戸に出仕する行いがありました。諸国の大名は江戸にやってくるときに絵師を従えており、この絵師が技術を習得したことで、東京友禅が発展したと言われています。染物といえば水が必須ですので、江戸の頃には神田川や墨田川といった、今でも残っている河川の近くに職人が多く住んでいたのです。
黄八丈(きはちじょう)
八丈島で作られる黄八丈は縞模様や格子模様が特徴の着物で、江戸時代の後期には人気浄瑠璃作品で、黄八丈の着物がよく着られていたことから庶民の間でとても流行ったのです。また、町娘が好んで着ていましたが、将軍や大名たちにも知れ渡り、女中にプレゼントされる着物として高い人気を誇っていました。
黄八丈の黄色は穢れを寄せ付けない色だと認識されていたことも、受けが良かったことの理由のひとつだと言えるでしょう。黄八丈は八丈島で作られる黄色の織物だと知られていますが、八丈島では黄八丈だけでなく「八丈絹」と呼ばれる長さが八丈ある織物も有名です。
黄八丈に八丈絹を生み出した八丈島の歴史は、絹織物と共に栄えてきたと言えるでしょう。黄八丈の中でも、島に生息している繭と刈安(かりやす)で染められた着物は、他の草木では出せないような美しい黄色になることから、とても高価で質の良いものが多いのです。
また、今では繭も刈安もあまり取れなくなってきているので、大変貴重で価値のあるものになっています。黄八丈は着物に詳しくなくてもおそらく時代劇なので見たことがある方も多いでしょう。
よく町娘が着ている黄色ベースの格子柄はかなりインパクトのあるデザインでありながら、馴染み深い印象を与えます。黄色地の黄八丈が有名ですが他にもいくつかデザインがあり、黒地に黄色の格子柄といった、黄色ベースではない黄八丈も存在しています。
黒地の黄八丈は、スダジイという草木の乾燥させた樹皮で染めたあとに、鉄が含まれた泥を使って泥染めを行います。この泥付けによって、泥の鉄分とスダジイに含まれているタンニンという成分が結びつき、黒色になるのです。
このような製法によって作られる織物は八丈島だけでなく、秋田県には黄八丈、五日市には黒八丈と呼ばれるものがありますが、八丈島の黄八丈とは別物として認識されています。八丈島で製作されたものは「本場黄八丈」とも呼ばれています。
江戸小紋(えどこもん)
江戸時代に、武士の裃(かみしも)を染める技術が発展した染物が江戸小紋です。名前の通りに東京が発祥の地であり、古くは大名がお互いのデザインを競い合い、幕府から注意される事態まで起こったことがあります。
そして武士の裃から着物の小紋柄へと技術が活用され、その精密なデザインはかなり高度な模様となっています。また、元が大名たち着用していたものですので、気品溢れる柄に細かい模様は、大名ごとに付けるデザインが固定されていったと言われており、紋を付けることで略装服になります。
江戸小紋は型染めを基本とする伝統的な織物で、型紙を作る職人も存在しており、熟練の技法によって優雅な小紋柄が成り立っていると言えるでしょう。しかし型紙を使用して作られる技術は江戸小紋だけではありません。一般的に型紙による染物はすべて小紋と言われています。
江戸小紋も最近までは他の小紋と同じように小紋とだけ呼ばれており、江戸小紋という名前が付いたのはごく最近になってからなのです。染色家の小宮康助氏という人物が昭和30年に人間国宝になりました。その時に他の小紋と分類したことで江戸小紋という名前が付けられたのです。そして江戸小紋が広く認知されるようになりました。
小宮康孝氏は後継者の教育にも積極的に取り組んだことでも知られています。江戸小紋の特徴は型彫り師と、その型を使って正確に染める職人の技術によって、精巧な小紋が作られるのです。華々しい印象はありませんが、模様が細かくて品格のあるデザインは高額で取引されています。
村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)
東京都武蔵村山市の地で生産されているのが村山大島紬(むらやまおおしまつむぎ)です。1967年には東京都無形文化財に指定されている、由緒ある絹織物になります。村山大島紬の特徴として、彫刻に文様を彫った木板を使って染める独特の方法で作られています。
よく知られている大島紬と似た名前を持っていますが、奄美大島の大島紬に似せて作ったわけではなく、村山大島紬には独特の技術があり全く別物となっているのです。玉繭から取り出した絹糸に文様を施した木の板で染色して、経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を別の色に染めることで鮮やかな模様に仕上げることが可能になるのです。
また地糸(じいと)と呼ばれる無地の糸や絣糸(かすりいと)も組み合わせると、とても魅力的な洗練されたデザインになるでしょう。昔から武蔵村山市および入間市の周辺では養蚕が伝わっており、また藍や綿の栽培にも力を入れていました。
そのため自然に木綿織物が産業として発展してきたのです。19世紀の始めころ、「村山紺絣」という錦織、「砂川太織」という絹糸を使ったものがあり、それらが発達して村山大島紬になりました。
多摩織(たまおり)
多摩織(たまおり)は東京都八王子市あきる野市で生産されている織物になります。昔から八王子のあたりは養蚕が各地で行われており、「桑の都」とも呼ばれていました。その歴史は古く、平安時代にはすでに織られていたと記録に残っているほどです。
多摩織には5つ種類があり、風通織(ふうつうおり)にお召織(たまゆうき、おめしおり)、紬織(つむぎおり)に綟り織(もじりおり)、変り綴織(かわりつづれ)があります。また、室町時代になると北条氏が産業として大きくバックアップしたことで、非常に大きな発達をすることになります。
そして江戸時代になると、「八王子織物」と呼ばれるようになるのです。周りから織物が集まってきたことで織物産業が栄え、「多摩織」の名前は広く知られるようになりました。この産業が発達したことから、経済産業省によって伝統工芸品に指定されるまでになったのです。
多摩織の特徴は京友禅に似ているところがあります。京友禅は各工程を分業することで知られていますが、多摩織も工程ごとに職人が存在しています。また、今だと着物だけでなく、マフラーやネクタイといった小物も作られるようになっています。
長板中形(ながいたちゅうがた)
長板中形(ながいたちゅうがた)は型染で染色する方法で、長板本染中形や江戸中形と呼ばれています。江戸時代に庶民が着ていた浴衣や夏物に使われる長板中形は大型の織物に分類されており、藍による一色染めが特徴です。
約6.5メートルの板に生地を貼ってから型紙を設置してから防染糊をつけていきます。庶民に親しまれてきた長板中形は、明治に入ると着る人はどんどんと減っていきました。
しかし昭和になると、伝統を重んじることから技術を継承していこうとする働きによって、「東京特産長板中形有限会社」が立ち上げられます。昭和30年には松原定吉と清水幸太郎が重要無形文化財になり、その技能は受け継がれていくのです。
東京都内の着物買取エリア
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